忍者ブログ
アニメを見たりアニメの情報を見たり聞いたり読んだりしたら書き足しますが頻度少。もう存在しないアニメスタジオのこととか大々的に扱われることの少ないスタッフのこととかに興味がありますが、そうでないものも普通に感銘を受けたりなんかはするわけです。

2024

0319
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

2019

1216
アニメーション産業不毛の地……とは物凄い書かれようだが、公式がそう言っているんだからしょうがない。
鵜呑みにして話を進めるが、そういう土地からこの作品が生まれたのは、物凄い達成だと思う。
ソン・シンイン監督『幸福路のチー』である。

アメリカで暮らす主人公・チーは1975年生まれ。
祖母の葬儀のために舞い戻った台湾で、様変わりした風景や年老いた地元の人々、かつての同級生と再会し、自身の越し方と行く末に思いを馳せながら、やがてある決断にいたる。
かんたんに片付けてしまえば、平凡な女性の自分史である。要所で台湾史ーーー総統選、言論弾圧とデモ、台湾地震ーーーが絡み合うが、そうした歴史に詳しくない私としては迂闊な言及は避けたい。
さて、政変と青春とが時期を同じくしていることで、チーの人生はいくらか過激になっている。とはいえ先にも書いたとおり、総合すると普通の人生なのである。大きなこと小さなこと、辛いことも楽しいこと、ドラマチックなことも平凡なこと、どれもが平等に起こる。そんな彼女の物語が「私の物語」として受容される強力な普遍性を獲得したのは、語り口の勝利ーーーアニメーションのちからであると私は思う。
本作が扱う問題は、アニメーション作品としては珍しい部類に入る。
けれども、アニメーション技法の用いかたそれ自体は、とても模範的なのである。

本作の場面を、仮に「日常パート」と「想像パート」と分ける。素朴なキャラクターデザインと抑制された演技によって成り立つ日常パートに対して、子供時代のチーの主観による「想像パート」シーンでは描法が大きく変わり、パステルカラーのキャラクターがぴょんぴょんと動き回る。激しい喜怒哀楽や突飛な空想といった子供ならではのモノの見え方がストレートに伝わってきて、辛いシーンですらも観ているだけで楽しく、アニメーションという手法による幸福感をひしひしと感じられる。 技法のもつ原初の快楽と、演出上の意図とが噛み合った、素晴らしい用法だ。
回想が大人時代へと近づくにつれ、そうした楽しげなイメージシーンが影を潜めていくのも理にかなっている。けれども現在が陰鬱なわけでは決して無く、今そこにいる人々を見つめる段になって、素朴なデザインながら表情豊かなキャラクターたちが活きてくるわけだ。
幼いことの想像のかけがえのなさは溌剌と、いまの自分がもっている小さな輝きは素朴に、それぞれ強く印象に残す。愛おしい自分史を(公式の言葉を再び借りれば)ノスタルジックに作り上げる一助を、手法選択が確実に担っている。
アニメーションである理由に自覚的な作品が大好きな私としては非常に理想的なアニメ映画であった。

とかぐだぐだ申しましたが、 アニメーションを用いる理由なんか無くても別に良いのである。けれども、ここまで素直にアニメーションであることの狙いがはっきりした作品は一周回って新鮮だったので、ちょっと驚いた。 そこで冒頭の「アニメーション産業不毛の地」という話に戻ろうと思ったのだけれど、なんか疲れてきたしメシ作んなきゃいけないので、日を改めて。
PR
カレンダー
02 2024/03 04
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
ブログ内検索
プロフィール
HN:
にがむし
性別:
男性
職業:
くそ
趣味:
作画
自己紹介:
いぇーい
最新コメント
最新トラックバック
カウンター
忍者ブログ [PR]
* Template by TMP